はじめに
令和8年4月から、国税庁の「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議」で、非上場株式(自社株)の相続税評価方法の抜本的な見直しが進められています。これに対し、日本商工会議所の委員からは、第4回(令和8年7月3日)および第5回(令和8年8月20日)の有識者会議に、それぞれ委員提出意見書が寄せられており、「中小企業の円滑な事業承継を阻害する」と強く懸念を示す内容となっています(国税庁ウェブサイトの有識者会議ページにて、両会とも「委員提出意見書」として公開されています)。
一見すると、国税庁(見直し推進)と日本商工会議所(見直しに反対)という、真っ向から対立する構図に見えます。
しかし、両者が提出した資料を丁寧に読み解いていくと、少し違う景色が見えてきます。結論から言えば、両者は「同じ非上場株式の評価」という言葉を使いながら、実は前提としている会社の”顔ぶれ”がかなり違うのではないか、というのが本稿の見立てです。
この記事では、国税庁側の資料と日本商工会議所側の意見書を突き合わせながら、なぜこの議論がすれ違いやすいのか、そして経営者の皆様が自社にとってどちらの話が該当するのかを見極めるための視点を整理します。
①国税庁資料で目立つのは、資産規模の大きい会社を使った租税回避事例
国税庁が有識者会議(令和8年7月3日・第4回資料)で示した資料には、実際に確認された租税回避スキームの具体例が8つ紹介されています。いずれも金額規模から見て、日常的な中小企業の事業承継というより、かなりの資産規模と専門的なストラクチャリング能力を要する取引であることが分かります。
なお、第1回議事要旨を見ると、国税庁の問題意識は租税回避スキームだけに向けられているわけではなく、会社規模によって評価方法が異なること自体の是非や、類似業種比準方式そのものの理論的合理性など、より広い論点設定がされています。ここではまず、資料の中でも特に目を引く「規模の大きい会社による租税回避事例」の部分に焦点を当てます。
代表的な例をいくつか挙げます。
事例①:子会社の会社規模操作による株価圧縮(評価減 約100億円・税額減 約55億円)
上場会社の創業家一族が、保有する上場株式を現物出資して資産管理会社を設立し、株式交換や従業員の転籍を組み合わせて子会社の評価方式を「純資産価額方式」から「類似業種比準方式(大会社)」へ変更した上で、上場株式を寄附するというものです。グループ法人税制を利用すれば、グループ内での資産移転には法人税が課されないため、この仕組みを使って評価額を大幅に圧縮しています。
事例④:子会社(類似業種比準方式)からの循環貸付による親会社(純資産価額方式)の株価圧縮(評価減 約65億円・税額減 約35億円)
持株会社・子会社・孫会社の間で現金の寄附と借入れを循環的に繰り返すことで、持株会社の負債を人為的に膨らませ、純資産価額方式による評価額を圧縮する手法です。
事例⑥:株主構成の操作による配当還元方式の適用(評価額 約98%減)
資産管理会社の株主構成を、どのグループも議決権15%を超えないよう意図的に分散させることで、本来は少数株主向けの例外的な評価方法である「配当還元方式」を、実質的な支配株主にまで適用させてしまうというものです。
このほかにも、航空機のオペレーティングリースを使った減価償却による株価圧縮、多額の借入れによる不動産取得を絡めたスキームなど、いずれも多額の資金調達力・複数法人を使った組織再編の実行力が前提となる手法です。
国税庁の資料には、平成2年の国会答弁(当時の国税庁の答弁)も引用されており、「現行の評価方法は中小企業の事業承継への配慮から採用されているが、行き過ぎた節税策が講じられていることも重大な問題」という趣旨の発言が、実に36年前から一貫して繰り返されてきたことが分かります。
少なくとも国税庁が示した租税回避事例を見る限り、問題意識の一つは、「事業承継」という言葉を借りながら実質的には租税回避に近い、一定の資産規模と組織再編余力を持つ会社・資産家層による評価圧縮に向けられているように見えます。
②日本商工会議所が主張しているのは、多数を占める中小・零細企業の事業承継の実情
一方、日本商工会議所の7月3日付意見書・8月20日付意見書が訴えているのは、これとは異なる文脈です。
日本商工会議所の会員構成は、その圧倒的多数が中小・零細企業です。意見書では、類似業種比準方式が「中小企業の円滑な事業承継へ配慮」する役割を歴史的に担ってきたことを踏まえ、これを廃止すれば大幅な税負担増となり、事業承継そのものを阻害すると訴えています。
8月20日の意見書ではさらに踏み込み、新方式(残余利益方式)への移行により評価額が現行の2倍から5倍近くに達する試算例を示し、還元率の算定方法(CAPM:資本資産価格モデル)が中小企業の実態(経営者個人の技能・信用への依存度、後継者の収益力の不透明性など)を反映していないこと、役員報酬・退職金への規制強化や持株会社形態への規制強化が、正当な事業承継の実務まで萎縮させかねないことなどを、具体的に指摘しています。
これらの主張は、租税回避を目的としたスキームというより、通常の事業を継続してきた中小企業が、世代交代のタイミングで直面する現実的な税負担の問題として語られています。
なぜこの”ズレ”が生じるのか
ここで注目したいのが、国税庁が公表した試算データの内訳です。
有識者会議・令和8年9月16日・第6回資料によれば、残余利益方式の影響試算に用いられた1,378社の内訳は、大会社128社(約9%)、中会社820社(約60%)、小会社430社(約31%)となっています。つまり、試算対象の91%は中会社・小会社が占めており、「国税庁は大企業だけを見ている」と単純に言えるわけではありません。
そして同じ試算では、しんしゃく率(評価の安全性を考慮した調整率)を0.7とした場合、小会社の約78%は現行の申告評価額より評価額が下がり、大会社でも約28%は評価額が下がるという結果が示されています。一方で、大会社については評価額が現行比で最大28%程度上昇する結果も示されており、規模の大きい会社ほど評価が上がりやすい傾向自体は、国税庁のデータからも読み取れます。
ここに、この議論のねじれた構造が見えてきます。国税庁が問題事例として提示している租税回避スキームは非常に大型である一方、制度改正そのものの影響試算は、多数の中小会社を含む形で行われているのです。この二つの異なるレイヤーが、同じ「非上場株式の評価見直し」という一つの制度議論の中に同居していることこそ、日本商工会議所が強く反応している理由の一つではないかと考えられます。
つまり、国税庁は「規模別データの分布」というマクロな統計的視点で「相対的な不公平の是正」を語っており、これは租税回避スキームが確認されている層(一定の資産規模・組織再編余力を持つ会社)への対応が主眼の一つになっていると考えられます。
これに対し、日本商工会議所は会員企業という母集団の性質上、中小・零細企業全体への影響という、いわばミクロな現場感覚で語っています。商工会議所が示す「2〜5倍化」という試算も、おそらく比較的規模の大きい個別事例を念頭に置いたものと推測されますが、意見書全体としては「中小企業の事業承継全般」への危機感として発信されているため、読み手にはこの試算が中小企業全般に当てはまるかのような印象を与えやすい構造になっています。
有識者会議も意見書も、「取引相場のない株式」「非上場株式」という一つの括りで議論が進められていますが、実際にはこの括りの中に、資産規模数百億円規模の資産管理会社から、従業員数名の家族経営の会社まで、極めて幅広い層が含まれています。この規模の幅を丁寧に腑分けしないまま議論が進んでいるため、双方の主張が同じ土俵に見えて、実はすれ違ったまま並行線をたどっているというのが、この議論の構造的な特徴だと考えられます。
歩み寄りの兆しも見える:しんしゃく率と「特定の評価会社」という緩衝装置
もっとも、国税庁の設計は「規模の大きい会社は増税、小さい会社は減税」という単純な二分法だけで進んでいるわけではありません。有識者会議・令和8年9月16日・第6回資料を見ると、両者の懸念をすり合わせる方向の工夫が、少なくとも2か所に見て取れます。
①しんしゃく率という「評価の安全性」の調整要素
残余利益方式の算式には、評価の安全性を考慮した調整率として「しんしゃく率」(0.7〜1.0)が組み込まれています。国税庁が示した1,378社の試算では、このしんしゃく率を0.7とした場合、小会社の約78%、大会社でも約28%が現行の申告評価額を下回る結果となっており、国税庁自身が、理論モデルをそのまま機械的に適用するのではなく、「評価の安全性」を考慮するための調整要素として、しんしゃく率を組み込む方向を示していることが分かります。
②「特定の評価会社」を純資産価額方式で評価する整理
残余利益方式による将来予測になじまない会社(資産管理会社、組織再編直後の会社、開業後5年未満の会社、休業中・清算中の会社など)については、引き続き純資産価額方式で評価することが整理されています。これは、資産管理会社や組織再編直後の会社など、一般の事業会社とは性質が異なり、残余利益方式による評価になじみにくい会社を切り分けて、純資産価額方式で評価するという設計思想です。その中には、これまで株価対策に利用されやすかった会社類型も含まれています。
つまり、国税庁の制度設計そのものが、通常の事業会社と、資産構成や事業履歴などから残余利益方式による評価になじみにくい会社を切り分けようとしている、と見ることができます。その中には、これまで株価対策に利用されやすかった会社類型も含まれています。この設計が実際に運用されれば、日本商工会議所が懸念する「通常の中小企業への影響」は、しんしゃく率と特定の評価会社という2つの緩衝装置によって、当初の試算例が示すほど大きくならない可能性があります。今後、しんしゃく率の具体的な数値や、特定の評価会社の判定基準がどこまで精緻化されるかが、両者の主張がどこまで歩み寄れるかを左右する焦点になりそうです。
経営者の皆様へ:自社がどちらの”文脈”に位置するかを見極める
ここまでの整理を踏まえると、今回の非上場株式評価の見直しに関するニュースに接した際は、次の視点で捉えることをお勧めします。
資産管理会社・持株会社化が進んでいる、あるいは相応の資産規模がある会社
租税回避スキームへの規制強化という文脈で影響を受けやすく、評価額の上昇や、子会社株式・役員報酬の取扱いの厳格化に直面する可能性があります。こうした会社では、評価額上昇を見据えた早めの対策の検討や、場合によっては親族内承継よりもM&Aによる第三者承継の方が経済合理性で優位になるケースも出てくると考えられます。
通常の事業を継続している中小・小規模の会社
国税庁の1,378社の試算では、小会社については現行評価額を下回る会社が比較的多い結果となっています。したがって、「今回の改正で中小企業の株価が一律に大幅上昇する」と受け止める必要はありません。ただし、これは「中小企業だから下がる」という単純な話ではなく、収益力や純資産の状況によって結果は大きく異なります。高収益な会社や、含み益の大きい資産を保有する会社では、規模が小さくても評価額が上昇するケースは十分にあり得るため、最終的には自社ごとの試算が必要です。
いずれにしても、令和9年度税制改正に向けてまだ議論は進行中であり、確定した制度ではありません。ただし、自社がこの議論のどちら側に位置するのかを冷静に見極めておくことは、今後の事業承継・組織再編の計画を考える上で重要な視点になります。
まとめ
日本商工会議所と国税庁の主張は、どちらも一定の合理性を持っています。しかし、両者が語っている「非上場株式」は、実は同じ言葉でありながら想定している会社の顔ぶれが大きく異なります。この構造を理解しておくことが、報道の見出しだけでは見えてこない、実務上の正しい判断材料になるはずです。
国税庁が問題としている「評価制度を利用した租税回避」と、日本商工会議所が守ろうとしている「通常の中小企業の事業承継」を、同じ制度の中でどう切り分けていくか。ここが、令和9年度税制改正に向けた今後の制度設計の最大の焦点になると考えられます。
弊法人では、非上場株式評価の見直しの動向を継続的に注視しています。事業承継や非上場株式評価については、制度改正の内容を踏まえ、個別の会社ごとに影響を検討する必要があります。








