2026年8月、経済産業省が2027年度(令和9年度)税制改正要望に、企業が事業を売却して得た利益への課税を繰り延べる新制度を盛り込む方針であることが報じられました。非中核事業を売り、その資金で成長分野の事業を買収する企業を後押しする狙いです。
まだ「要望」の段階であり、制度として成立したわけではありません。ただ、実現すれば、これまでの組織再編税制では手当てされてこなかった「第三者への売却 → 外部からの買収」という事業の入れ替えに、正面から税制上のインセンティブを与える制度になります。事業ポートフォリオの見直しを考えている会社にとっては、意思決定のタイミングを左右しうる話です。
本稿では、現時点で報じられている内容を整理したうえで、既存制度との違い、実務上の注目点、そして「いまから準備できること」をまとめます。
1. 何が報じられているのか
報道されている制度案の骨子は、次のとおりです。
- 企業が非中核事業や子会社株式を売却した際の譲渡益への課税を繰り延べる
- 売却後、一定期間内(5年程度が想定)に成長分野の事業を買収することが条件
- 買収した事業を保有し続ける限り、課税は先送りされる
- その買収事業を後に売却した場合は、遡って納税を求める方向
- 買収後の設備投資・研究開発・賃上げといった成長投資が要件に加わる可能性
日本経済新聞は「事業売却益に税優遇 経産省要望 成長分野へ投資が条件 ポートフォリオ改善促す」、読売新聞は「企業が一定期間内に事業を売却・買収なら『売却益への課税』繰り延べ要望へ」と報じています。
なお、制度の仮称、繰延べ期間の上限、賃上げ要件の具体的な水準などについては報道によって記述に幅があり、公式資料で確認できる段階には至っていません。以下の内容は、あくまで報道ベースの整理としてお読みください。
2. いまの税制では、事業を売ると何が起きるか
現行制度では、会社が外部の買い手に事業や子会社株式を売却して利益が出れば、その譲渡益は原則としてその事業年度の課税所得に取り込まれます。
たとえば、次のケースを考えてみます。
| 項目 | 金額 |
|---|---|
| 売却代金 | 1億円 |
| 帳簿価額 | 4,000万円 |
| 譲渡益 | 6,000万円 |
| 法人税等(実効税率30%と仮定) | 1,800万円 |
| 次の投資に回せる資金 | 8,200万円 |
売却代金は1億円入ってきますが、翌期の納税で1,800万円が出ていきます。次の買収に充てられる自己資金は、実質8,200万円まで目減りします。
※実効税率は法人税・地方法人税・法人住民税・法人事業税の合計です。会社の規模、所得水準、所在自治体によって異なりますので、実際の試算では個別に計算する必要があります。
報道されている制度が実現すれば、この1,800万円の納税を先送りし、売却代金1億円をそのまま買収資金や買収後の投資に投入できることになります。借入で不足分を補う必要が減り、金利負担も抑えられます。政策側が取り除こうとしているのは、まさにこの「課税による再投資原資の目減り」です。
3. 既存の制度では、なぜ届かなかったのか
「組織再編なら課税が繰り延べられるのでは」と思われるかもしれません。ただ、既存の制度は今回想定されている場面をカバーしていません。
| 制度 | 主な場面 | 今回の構想との違い |
|---|---|---|
| 適格組織再編税制 | 合併、会社分割、現物出資、株式交換等 | 支配関係の継続や対価の継続が前提。現金で第三者に売却する取引は原則として対象外 |
| スピンオフ税制・パーシャルスピンオフ税制 | 事業を切り出して独立させ、株主に株式を分配 | 売却代金を得て再投資する資金循環を扱う制度ではない |
| 特定の資産の買換えの特例 | 長期保有の土地等を譲渡して事業用資産を取得 | 資産の買換えが対象であり、事業や会社の買収には使えない |
| オープンイノベーション促進税制 | 一定のスタートアップへの出資・M&A | 買い手側への所得控除であり、売り手の譲渡益課税は繰り延べない |
| 今回の構想 | 非中核事業の売却 → 成長事業の買収 | 売却と買収を一体でとらえ、企業内の資本の再配分そのものを促す |
構造としては「特定の資産の買換えの特例」に近い発想(譲渡益を新たに取得したものの簿価に付け替える、あるいは特別勘定で留保する)と考えられますが、対象が土地建物ではなく事業そのものである点が決定的に違います。
4. どんな会社に関係しそうか
報道上は企業規模や業種に原則として条件を設けない方向とされています。当初は上場企業のポートフォリオ改革を意識した設計になる可能性が高いものの、中堅・中小企業でも次のような場面では実需があります。
- 本業と関係の薄い部門や、赤字が続く子会社を切り離したい会社 収益の重石になっている部門を手放し、その資金を本業強化に回したいケース。
- 後継者不在の同業・隣接業種を買収して規模を確保したい会社 人材・技術・取引先をまとめて取り込む、いわゆる「買う側の事業承継」。
- 製造業が、販売・保守・ソフトウェア分野の会社を買収して高付加価値化を図るケース
- 事業承継を控えて、複数事業を整理し中核事業に集中したいオーナー企業
阪神間には、複数の事業を抱えたまま次の世代への引き継ぎを考えている製造業・卸売業のオーナー企業が少なくありません。「どれを残し、どれを手放し、何を取り込むか」を数字で整理しておくことは、この制度の成否にかかわらず有益です。
5. 誤解されやすい3つのポイント
① まだ「要望」であって、決まった制度ではありません
現在は、経産省が8月末の税制改正要望に盛り込む段階です。年末の与党税制改正大綱、翌年の法案・政省令を経てはじめて制度の姿が固まります。この制度の適用を前提に取引を実行するのは、現時点では危険です。
② オーナー個人の株式譲渡益とは、別の話です
報道されている内容は、法人が保有する子会社株式や、法人が営む事業を売却する場面が中心です。オーナー個人が自社株を売却して得る譲渡所得(申告分離課税20.315%)を直接繰り延べる制度とは読めません。事業承継対策やMBO、第三者承継の株式譲渡とは、法人段階と個人段階を分けて検討する必要があります。
③ 「非課税」ではなく「繰延べ」です
「実質非課税」という表現が使われることがありますが、制度の趣旨は永久免除ではなく課税時期の後ろ倒しです。買収した事業を後に売却すれば、遡って納税を求められる方向とされています。将来の納税義務が消えるわけではなく、繰延べ税金負債として残り続けるという理解が正確です。
6. まだ何も決まっていない、主な論点
制度の実務上の使い勝手は、次の点がどう設計されるかで大きく変わります。
- 繰延べの技術的な手法:圧縮記帳型(取得資産の簿価を減額)か、準備金型か、特別勘定型か
- 売却益と再投資額の対応関係:売却代金の全額再投資が必要か、譲渡益相当額だけでよいか。借入部分も投資額に算入されるか
- 売却先行型だけか、買収先行型も認めるか
- 対象となる取得の形態:100%株式取得、過半数取得、少数持分取得、事業譲受け、会社分割によるカーブアウト、海外事業の取得をどこまで含めるか
- 事後管理:保有義務期間、要件を外れた場合の追徴方法(過年度の更正か、逸脱年度での益金算入か)、延滞税・加算税の扱い
- グループ通算制度、繰越欠損金、受取配当等益金不算入との調整
とくに「遡って納税」の実務は重要です。過去年度を更正する方式か、要件を外れた年度で繰延益を一括して益金算入する方式かによって、申告実務も地方税の取扱いも変わってきます。
7. 制度を待たずに、いまから準備できること
制度が未成立でも、選択肢を残すための整備は今日から始められます。
- 事業別の採算と資本効率を可視化する 部門別の損益だけでなく、投下資本、運転資本、設備更新の負担、成長投資の余地までを事業単位で整理します。政策側の問題意識も、資本コストを上回る利益を生む部門への資源配分にあります。
- 「売る候補」と「買う候補」を同時に検討する 売却単独ではなく、「どの事業を切り出し、何を取得し、買収後に何へ投資するか」を一体の経営計画として組み立てておきます。制度化された場合、認定計画の土台になる可能性があります。
- 売却対象の切り出し可能性を確認する 事業譲渡、会社分割後の株式譲渡、子会社株式譲渡のいずれを選ぶかで、消費税、不動産取得税・登録免許税、許認可の承継、従業員の転籍、契約のチェンジオブコントロール条項の扱いがすべて変わります。
- 買収後の成長投資を数値で持っておく 設備投資額、研究開発費、採用計画、賃上げ率、国内拠点の維持といった項目は、要件化された場合の疎明資料になり得ます。取締役会資料や中期計画に落とし込んでおくことをおすすめします。
- 通常課税の場合と繰延べの場合で、キャッシュフローを試算しておく 繰越欠損金や特別控除の有無によっては、繰り延べないほうが有利なケースもあります。制度が固まった段階ですぐ比較できるよう、案件ごとの譲渡益と税額の見込みを整理しておきます。
8. 今後、どの資料で確認すべきか
制度の実像を判断するには、次の順序で公表資料を追うのが確実です。
| 時期の目安 | 確認する資料 |
|---|---|
| 2026年8月末 | 経済産業省「令和9年度税制改正に関する経済産業省要望」 |
| 2026年12月 | 与党税制改正大綱 |
| 2026年12月〜2027年1月 | 政府税制改正大綱・閣議決定 |
| 2027年2月〜3月 | 租税特別措置法等の改正法案、新旧対照表 |
| 2027年春以降 | 政令・省令、認定計画の様式、Q&A |
| 施行後 | 国税庁の通達、申告書別表、記載要領 |
適用対象となる売却・買収の定義、繰延べの方式と上限、投資・賃上げの定量基準、事後売却時の課税方法が公表されるまでは、効果を断定できません。現時点では「売却益が非課税になる制度」ではなく、成長投資を伴う事業再編について、課税のタイミングを後ろ倒しする制度案と理解しておくのが正確です。
おわりに
事業の入れ替えは、税務だけで決まる話ではありません。ただ、「税負担が重いから売却に踏み切れない」という理由で判断が止まっていた会社にとっては、前提が変わる可能性があります。
当事務所は、所得税・法人税・相続税の申告業務に加え、組織再編税制やM&Aといった高度な専門分野にも継続して取り組んでおります。非中核事業の切り出し、同業の買収、事業承継を見据えた事業の整理などをご検討中の場合は、制度が固まる前の段階から一緒に組み立てを進めることができます。
新しい制度の動向は、大綱の公表など節目のタイミングで改めてご案内いたします。
本稿は2026年8月25日時点の報道に基づく情報提供を目的としたものであり、税務上の助言を構成するものではありません。記載内容は今後の税制改正大綱・法令により変更される可能性があります。個別の取引の検討にあたっては、当事務所までご相談ください。








