登場人物
- 後輩スタッフ(田中):入社3年目。相続案件を担当し始めたばかり。
- 先輩税理士(松野):相続・事業承継を専門とするベテラン税理士。
「配偶者の税額軽減を最大活用すれば一番お得」とは限らない
田中: 松野先生、先日お客様から「1次相続のとき、奥様にできるだけ多く相続させれば相続税が一番安くなりますよね?」と聞かれました。配偶者の税額軽減があるから確かにそうだと思うのですが…。
松野: それは「1次相続だけを見れば」正しいんですが、2次相続まで含めたトータルで考えると、必ずしも正解とは言えないんです。今日はその話をしましょう。
まず「配偶者の税額軽減」の仕組みをおさらい
田中: 念のため確認させてください。配偶者の税額軽減とはどのような制度ですか?
松野: 配偶者が相続した財産について、次のいずれか多い金額まで相続税がかからない制度です。
配偶者の税額軽減の非課税限度額
- ① 1億6,000万円
- ② 配偶者の法定相続分相当額(2分の1)
①と②のいずれか大きい方まで、相続税が課税されません。
田中: 根拠条文はどこになりますか?
松野: 相続税法第19条の2に規定されています。条文を確認しておきましょう。
【相続税法第19条の2(配偶者に対する相続税額の軽減)】
第1項 被相続人の配偶者が相続又は遺贈により財産を取得した場合においては、当該配偶者については、次に掲げる金額のうちいずれか多い金額(以下この条において「配偶者控除額」という。)に相当する相続税額は、第17条及び前条の規定にかかわらず、課さない。
一 1億6,000万円
二 当該配偶者の法定相続分相当額として政令で定めるところにより計算した金額
第2項 前項の規定は、相続税の申告書(第27条第2項の規定による申告書を含む。以下この項において同じ。)の提出があった場合に限り、適用する。ただし、当該配偶者の取得した財産の全部又は一部が共同相続人又は包括受遺者間において分割されていない場合(遺産が未分割である場合)における当該分割されていない財産については、政令で定めるところにより当該相続税の申告書の提出期限後3年以内に分割される見込みである旨の届出がある場合を除き、適用しない。
田中: 第2項のただし書きに「未分割の場合は適用しない」と明記されているんですね。そして「3年以内に分割される見込みである旨の届出」があれば猶予されると。
松野: そうです。「申告期限後3年以内の分割見込み書」の根拠がまさにここにあります。条文上も明確に手当てされた制度です。
【国税庁 参考リンク】
- タックスアンサー No.4158「配偶者の税額の軽減」 👉 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4158.htm
- 相続税法基本通達 第19条の2関係(国税庁) 👉 https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/sisan/sozoku2/02/06.htm
田中: つまり、たとえ相続財産が10億円あっても、配偶者が5億円(法定相続分の2分の1)まで相続すれば、配偶者には相続税がかからないということですね。
松野: そうです。だから1次相続の相続税だけを計算すると、配偶者にできるだけ多く相続させた方が、そのときの相続税は少なくなります。でも問題は2次相続なんです。
1次相続と2次相続の間隔が「10年以上」の場合
田中: 1次相続と2次相続が10年以上離れている場合は、どう考えればよいのですか?
松野: 典型的なケースで考えてみましょう。
【事例】
- 父(1次相続)・母(2次相続)・子供2人
- 父の相続財産:3億円
- 母の固有財産:なし
- 父死亡時の母の年齢:65歳(2次相続まで15年以上と予想)
田中: この場合、1次相続で母にできるだけ多く相続させるのがよいのでしょうか?
松野: 数字で比べてみましょう。まず相続税の計算の前提を確認します。
【相続税の前提計算】(以下すべて本事例に基づく概算例)
- 基礎控除:3,000万円+600万円×3人(母・子A・子B)=4,800万円
- 課税遺産総額:3億円-4,800万円=2億5,200万円
法定相続分で按分した相続税の総額(速算表適用):
相続人 法定相続分 課税標準 税率・控除 税額 母(1/2) 1億2,600万円 45%-2,700万円 2,970万円 子A(1/4) 6,300万円 30%-700万円 1,190万円 子B(1/4) 6,300万円 30%-700万円 1,190万円 相続税の総額 5,350万円
パターンA:母が1億5,000万円、子供2人で1億5,000万円を相続(各7,500万円)
【パターンAの計算過程】
1次相続
- 配偶者軽減の限度額:max(1億6,000万円、法定相続分1億5,000万円)=1億6,000万円
- 母の取得額1億5,000万円≤1億6,000万円 → 配偶者の税額軽減で母の税額は全額ゼロ
- 母の按分税額:5,350万円×15/30=2,675万円 → 軽減後:0円
- 子A:5,350万円×7.5/30=1,337万円
- 子B:5,350万円×7.5/30=1,337万円
- 1次相続 納付合計:約2,675万円
2次相続(母の遺産1億5,000万円、相続人:子A・子B)
- 基礎控除:3,000万円+600万円×2人=4,200万円
- 課税遺産総額:1億5,000万円-4,200万円=1億800万円
- 子A(1/2):5,400万円 → 20%-200万円=880万円
- 子B(1/2):5,400万円 → 20%-200万円=880万円
- 2次相続 納付合計:約1,760万円
| 相続 | 課税対象 | 相続税(計算結果) |
|---|---|---|
| 1次相続(父→母・子) | 3億円 | 約2,675万円(配偶者軽減後) |
| 2次相続(母→子2人) | 1億5,000万円 | 約1,760万円 |
| 合計 | 約4,435万円 |
パターンB:母が8,000万円、子供2人で2億2,000万円を相続(各1億1,000万円)
【パターンBの計算過程】
1次相続
- 配偶者軽減の限度額:max(1億6,000万円、1億5,000万円)=1億6,000万円
- 母の取得額8,000万円≤1億6,000万円 → 配偶者の税額軽減で母の税額は全額ゼロ
- 母の按分税額:5,350万円×8/30=1,427万円 → 軽減後:0円
- 子A:5,350万円×11/30=1,962万円
- 子B:5,350万円×11/30=1,962万円
- 1次相続 納付合計:約3,923万円
2次相続(母の遺産8,000万円、相続人:子A・子B)
- 基礎控除:4,200万円
- 課税遺産総額:8,000万円-4,200万円=3,800万円
- 子A(1/2):1,900万円 → 15%-50万円=235万円
- 子B(1/2):1,900万円 → 15%-50万円=235万円
- 2次相続 納付合計:約470万円
| 相続 | 課税対象 | 相続税(計算結果) |
|---|---|---|
| 1次相続(父→母・子) | 3億円 | 約3,923万円(配偶者軽減後) |
| 2次相続(母→子2人) | 8,000万円 | 約470万円 |
| 合計 | 約4,393万円 |
田中: パターンBの方が、1次相続の相続税は高くなるのに、トータルでは安くなるんですね!
松野: そうなんです。この3億円の例では差額が約42万円と小さく見えますが、財産規模が大きくなるほど差が広がります。理由は「累進税率」にあります。2次相続では配偶者の税額軽減が使えません。子供2人だけで財産を分けるため、1次相続(母・子A・子B の3人で分担)より一人当たりの課税ベースが膨らみ、高い税率が適用されやすくなります。
田中: 財産が5億円・10億円と大きくなると、差額はどのくらいになりますか?
松野: 財産規模が大きくなると累進税率の最高税率(55%)が適用される部分が増え、差額が大きく広がります。たとえば財産が10億円規模の案件では、遺産分割の組み方次第で1,000万円以上の差が生じるケースも実務上は珍しくありません。3億円の事例はあくまで計算の仕組みを理解するための例として捉えてください。
1次相続から10ヶ月以内に2次相続が発生した場合
田中: では、1次相続と2次相続がほぼ同時期に起きてしまった場合はどうなりますか?たとえば、父が亡くなってすぐ、同じ年に母も亡くなってしまうケースです。
松野: そのような場合は、「相次相続控除」という非常に強力な制度が使えます。これを活用する場合は、逆転の発想で1次相続の遺産分割を組み立てます。
相次相続控除の仕組み
田中: 相次相続控除とはどのような制度ですか?
松野: 1次相続の開始から10年以内に2次相続が発生した場合、1次相続で課税された相続税の一定割合を、2次相続の相続税から差し引ける制度です。根拠条文は相続税法第20条です。
【相続税法第20条(相次相続控除)】
相続人(相続を放棄した者及び相続権を失った者を含まない。以下この条において同じ。)が相続(相続人が相続を放棄した場合及び相続権を失った場合に係るものを除く。)により財産を取得した場合において、当該相続の開始前10年以内に開始した相続(以下この条において「前の相続」という。)により当該相続に係る被相続人が財産を取得していたときは、当該相続人の相続税額から、次に掲げる金額を控除する。
当該被相続人が前の相続により取得した財産に係る相続税額(政令で定めるところにより計算した金額)× (当該相続の開始前10年以内に開始した前の相続の開始の時から当該相続の開始の時までの年数(1年未満の端数は切り捨てる。)に応じ、10年を1とした場合の残余の年数の割合)
田中: 条文にある「前の相続」が今回でいう1次相続(父の相続)で、「当該相続」が2次相続(母の相続)ということですね。
松野: その通りです。国税庁タックスアンサー(No.4168)に掲載されている正式な計算式を確認しておきましょう。
【相次相続控除額の計算式】(国税庁 No.4168)
各相続人の控除額 = A × C ÷(B-A)× D ÷ C × (10-E)÷ 10
記号 内容 A 今回の被相続人(母)が1次相続で課税された相続税額(相続時精算課税分の贈与税額控除後。延滞税・加算税等は除く) B 母が1次相続で取得した純資産価額(取得財産の価額+相続時精算課税適用財産の価額-債務及び葬式費用) C 2次相続により相続人・受遺者の全員が取得した財産の価額の合計額(課税価格の合計額) D 2次相続で各相続人が取得した財産の価額(各人の課税価格) E 1次相続開始から2次相続開始までの経過年数(1年未満の端数は切捨て) ※ C÷(B-A)の割合が100/100を超える場合は100/100とする(上限キャップあり)
田中: 計算式の構造を少し解説してもらえますか?
松野: 式を分解すると3つのパーツで成り立っています。
【計算式の3パーツ】
① A × C ÷(B-A) → 「母が払った相続税のうち、2次相続に持ち越された財産に対応する部分」 BはAの税を払った後の手取り純資産なので、B-AはAを控除した後の純資産価額。 C÷(B-A)は、2次相続財産が1次相続の手取り純資産の何倍かを示す割合(上限100%)。
② × D ÷ C → 「控除対象者(各相続人)の取得割合」 2次相続の全体課税価格Cのうち、その相続人が取得した割合で按分する。
③ × (10-E)÷ 10 → 「経過年数による逓減割合」 1年経過ごとに10%ずつ控除割合が減少する。
田中: 計算式は複雑ですが、本質は「経過年数が短いほど控除割合が大きくなる」ということですね。実務上よく使う経過年数ごとの控除割合を早見表で確認できますか?
松野: まとめると次の通りです。
【控除割合の早見表】
1次相続からの経過年数 控除割合 1年未満 100% 1年以上2年未満 90% 2年以上3年未満 80% 3年以上4年未満 70% ……以後1年ごとに10%減少 9年以上10年未満 10% 10年以上 0%(控除なし)
田中: 経過年数が短いほど控除割合が高く、1年未満なら1次相続で払った相続税が全額控除されるんですね!
松野: そうです。ただし、控除の対象となる相続税は「1次相続で母が課税された相続税額」をもとに計算します。だから、1次相続で母にできるだけ多く財産を相続させ、母に相続税を多く払ってもらうことが、相次相続控除を最大活用する鍵になるんです。
【国税庁 参考リンク】
- タックスアンサー No.4168「相次相続控除」 👉 https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/sozoku/4168.htm
- 相続税法基本通達 第20条関係(国税庁) 👉 https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/sisan/sozoku2/02/09.htm
田中: 逆転の発想ですね!「配偶者の税額軽減を使わずに、あえて母に相続税を払わせる」。
松野: そうです。経過年数が短いほど控除割合が高いので、たとえば1年以内に2次相続が発生した場合、母が1次相続で払った相続税がほぼまるごと子供たちの2次相続税から控除されます。トータルの相続税が数千万円単位で変わることもある、非常に重要なポイントです。
90歳の方が1次相続の場合の実務テクニック
ポイント 相次相続控除を最大限活用する方法は 配偶者にたくさん財産を相続させるのがコツです。
別のブログで紹介しています。
田中: では、父が90歳で1次相続が発生した場合など、近い将来に2次相続が起きる可能性が高いケースでは、どのように対応するのですか?
松野: これは実務でとても重要な話です。このような場合、あえて1次相続を「未分割」のまま相続税の申告をするという選択肢があります。
未分割申告とは何か
田中: 未分割のまま申告するんですか?そもそも「未分割申告」とはどういう意味ですか?
松野: 相続税の申告期限は、相続開始を知った日の翌日から10ヶ月以内です。この期限までに相続人全員で遺産分割協議が整わなかった場合、分割が決まっていないまま申告・納税することを「未分割申告」といいます。
田中: 遺産の分け方が決まっていないのに、どうやって税額を計算するのですか?
松野: 未分割の場合は、各相続人が民法の法定相続分に従って相続したものとみなして相続税を計算します。今回のケース(母・子2人)であれば、母が2分の1、子2人がそれぞれ4分の1ずつ相続したものとして仮計算し、それぞれが申告・納付します。
田中: 実際には財産を受け取っていなくても、税金だけ払わなければならないのですか?
松野: そうなります。だから未分割申告では、相続人それぞれが立替払いに近い形で納税することになります。後で遺産分割が確定したときに、税額を精算する手続きを行います。
田中: 未分割のままでは使えない特例があると聞きましたが?
松野: その通りです。未分割の状態では、次の重要な特例が原則として適用できません。
【未分割のまま申告すると使えない主な特例】
特例 内容 配偶者の税額軽減 配偶者が相続した財産が確定していないため適用不可 小規模宅地等の特例 誰がどの土地を相続するか確定していないため適用不可
これらが使えないと、本来より大幅に高い税額で申告・納付することになってしまいます。
「申告期限後3年以内の分割見込み書」の活用
田中: でも、特例が使えないまま多額の税金を払うのは困りますよね。何か救済措置はないのですか?
松野: あります。それが**「申告期限後3年以内の分割見込み書」**です。
相続税の申告書を提出する際に、この書類を一緒に税務署に提出しておくことで、申告期限から3年以内に遺産分割が確定した場合に限り、その時点で更正の請求(税金の還付申請)を行い、配偶者の税額軽減や小規模宅地等の特例を遡って適用することができます。
田中: 「見込み書」を出しておくことで、3年間の猶予が与えられるわけですね。具体的にはどのような手続きの流れになりますか?
松野: 流れをまとめると次の通りです。
【未分割申告から遺産分割確定までの流れ】
① 相続開始(10ヶ月以内) 申告期限までに遺産分割が整わない場合、法定相続分で仮計算して申告・納付。 申告書と同時に**「申告期限後3年以内の分割見込み書」**を提出。
② 申告期限から3年以内に遺産分割が確定 相続人全員で遺産分割協議書を作成・署名・押印。
③ 遺産分割確定から4ヶ月以内に更正の請求 配偶者の税額軽減・小規模宅地等の特例を適用した正しい税額で更正の請求を行い、納め過ぎた税金の還付を受ける。 ※ 逆に税額が増える場合は修正申告が必要。
田中: 3年以内に分割できなかった場合はどうなりますか?
松野: 原則として特例の適用はできなくなります。ただし、遺産分割が整わないことについてやむを得ない事情がある場合(たとえば相続人間で訴訟が継続中など)は、申告期限から3年を経過する日の翌日から2ヶ月以内に「遺産が未分割であることについてやむを得ない事由がある旨の承認申請書」を税務署長に提出し、承認を受けることで、さらに期間を延長できる制度があります。
田中: 「見込み書」を出し忘れたらどうなりますか?
松野: 出し忘れると、後で遺産分割が確定しても、配偶者の税額軽減も小規模宅地等の特例も一切使えなくなります。これは非常に大きな損失になりかねません。未分割申告の際には必ず「見込み書」を添付することが鉄則です。実務上、この書類の提出を忘れた案件でトラブルになるケースも見受けられますので、十分注意が必要です。
未分割申告を戦略的に活用するケース
田中: そうすると、「あえて未分割で申告する」という戦略はどのような場面で有効なのですか?
松野: 先ほど説明した90歳の高齢者が1次相続を迎えたケースがその典型です。具体的に整理しましょう。
【あえて未分割申告を選択するケース】
- 被相続人(父)が高齢(例:90歳)で、配偶者(母)の2次相続が数年以内に見込まれる
- 1次相続と2次相続の遺産をまとめて分割協議することで、相次相続控除を最大限活用したい
- 1次・2次両方の遺産全体を俯瞰した上で、最も税負担の少ない遺産分割を設計したい
田中: 実際に2次相続が発生した後の流れを教えてください。
松野: たとえば1次相続の申告期限から3年以内に2次相続が発生した場合、次のように動きます。
【2次相続発生後の一括分割のフロー】
- 2次相続が発生 → 子供2人が1次・2次双方の相続人として確定
- 1次相続の遺産と2次相続の遺産をまとめて分割協議
- 2次相続において相次相続控除を適用(経過年数に応じた控除割合を計算)
- 1次相続について更正の請求(配偶者の税額軽減・小規模宅地等の特例を適用)
- 2次相続の申告・納付(申告期限:2次相続開始の翌日から10ヶ月以内)
田中: 1次相続と2次相続の遺産を「まとめて」分割協議できるんですね。そもそも、なぜ子供2人だけで1次相続(父の遺産)の分割協議ができるのですか?母がいなくても問題ないのでしょうか?
松野: これは非常に重要なポイントです。民法の条文に根拠があります。順番に説明しましょう。
子供2人だけで1次相続の遺産分割ができる民法上の根拠
根拠① 民法第896条(相続の一般的効力)
【民法第896条】
相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない。
松野: この条文の「財産に属した一切の権利義務」には、財産上の権利だけでなく「法律上の地位」も含まれます。
今回のケースでは、母は1次相続(父の遺産)の相続人でした。つまり母は、父の遺産について**「遺産分割協議をする権利・地位」**を持っていました。
この「1次相続の相続人たる地位」は、母の財産に属した権利義務ですから、母が死亡したとき、民法第896条により子供2人に承継されます。
田中: つまり、母が死亡しても、その「1次相続の相続人たる地位」は子供2人が引き継ぐ、ということですね。
松野: そうです。この仕組みを「数次相続」といいます。
【数次相続の仕組み(本事例)】
1次相続(父の死亡) 相続人:母・子A・子B → 遺産分割未了のまま母が死亡
2次相続(母の死亡) 母の「1次相続の相続人たる地位」を、子A・子Bが民法896条により承継
結果 子Aは「自分本来の立場(1次相続人)」+「母から承継した立場(母の1次相続人たる地位)」の二役 子Bも同様 → 子A・子Bの2人だけで、1次相続の遺産分割協議が可能
田中: 子供たちが「自分自身」と「亡き母の代わり」の両方の立場で協議に参加できるわけですね。
松野: 正確には「母の地位を承継した者」として参加します。ただし、承継しても相続分が増えるわけではありません。子Aが受け取れる最大の取り分は「子A本来の相続分+母の相続分×子Aの法定相続分」になります。
根拠② 民法第898条(共同相続の効力・遺産の共有)
【民法第898条】
相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する。
2 相続財産について共有に関する規定を適用するときは、第九百条から第九百二条までの規定により算定した相続分をもって各相続人の共有持分とする。
松野: 1次相続(父の遺産)が未分割のまま残されている場合、その遺産は相続人の「共有財産」として存在し続けます。共有である以上、共有者(相続人)全員で分割方法を決める必要があります。
母が死亡した後、1次相続の共有者は実質的に子A・子Bの2人となりました。したがって、この2人で1次相続の遺産分割協議を行うことができます。
根拠③ 民法第907条第1項(遺産分割の協議)
【民法第907条第1項】
共同相続人は、次条の規定により被相続人が遺言で禁じた場合又は第五款の規定により分割をしない旨の契約をした場合を除くほか、いつでも、その協議で、遺産の全部又は一部の分割をすることができる。
松野: この条文が「いつでも遺産分割協議を求めることができる」という根拠です。被相続人が遺言で分割を禁じていない限り、1次相続が開始してから何年経っても、共同相続人(今回は子A・子B)は遺産分割協議を進めることができます。
田中: 「いつでも」できるからこそ、未分割のまま申告して2次相続後にまとめて分割するという戦略が成り立つんですね。
松野: そうです。3つの条文をまとめると次の通りです。
【民法上の根拠まとめ】
条文 内容 本事例での役割 民法第896条 相続人は被相続人の権利義務を承継 母の「1次相続人たる地位」が子A・子Bに承継される根拠 民法第898条 未分割遺産は相続人の共有 未分割のまま1次相続の遺産が存在し続ける根拠 民法第907条1項 共同相続人はいつでも分割協議できる 2次相続後に1次相続の遺産分割を行える根拠
田中: ただ、子供が1人(一人っ子)の場合はどうなりますか?
松野: 一人っ子の場合は、2次相続が発生した時点で1次相続の「共同相続人」が子1人だけになります。遺産分割協議は相続人が2人以上いる場合に必要な手続きですから、相続人が1人しかいないときは協議そのものが不要です。子1人がそのまま1次相続・2次相続の両方の財産を単独で取得することになります。
【相続人の数と遺産分割協議の要否】
状況 遺産分割協議 相続人が2人以上(本事例:子A・子B) 必要(全員の合意が前提) 相続人が1人のみ(一人っ子の場合) 不要(単独相続として処理)
田中: なるほど。相続人が1人になった場合は、協議なしで単独取得できるんですね。ただその場合、小規模宅地等の特例や配偶者の税額軽減の適用はどうなりますか?
松野: 相続人が1人の場合でも特例の適用自体は可能ですが、1次相続の未分割申告で「見込み書」を提出していた場合、2次相続後に更正の請求を行って特例を確定させる手続きは必要です。また税務上の相次相続控除(相続税法第20条)は「相続人」に限って適用されますので、子1人であっても要件を満たせば控除は受けられます。
松野: 遺産全体を俯瞰した上で、最も税負担が少なくなる分け方を自由に設計できる点です。たとえば次のような工夫が可能になります。
- 収益不動産は生前から収益を管理している子供Aにまとめて集中させる
- 換金しやすい金融資産は子供Bに相続させ、納税資金に充てる
- 自社株など相続税評価額が低い財産は事業を継ぐ子供に集中させる
- 小規模宅地等の特例(最大80%減額)をどの相続人のどの土地に適用するか最適化する
1次・2次それぞれ単独で遺産分割するよりも、トータルでの税負担と財産の有効活用を両立した設計が可能になるわけです。
田中: ただ、未分割のまま放置しておくことにリスクはありませんか?
松野: 当然リスクはあります。注意すべき点をまとめておきましょう。
【未分割申告の注意点・リスク】
- 申告期限までに**「申告期限後3年以内の分割見込み書」を必ず提出**すること(提出忘れは致命的)
- 3年以内に分割できない場合はやむを得ない事情の承認申請が必要
- 未分割の間は相続財産の名義変更・売却・贈与などが事実上困難になる
- 相続人の間で意見が分かれた場合、遺産分割協議が長期化するリスクがある
- 未分割のまま相続人の一人が死亡すると、数次相続が発生して権利関係が複雑になる
田中: 未分割申告は「待つ」戦略であるがゆえに、デメリットもしっかり理解した上で選択する必要があるんですね。
松野: そうです。未分割申告はあくまで戦略的な手段のひとつです。相続人の年齢・健康状態・財産の内容・家族関係など、総合的な事情を踏まえて、専門家と十分に検討した上で選択することが重要です。
未分割申告を選択すべきかどうかの判断基準
田中: では実務上、「未分割で申告するかどうか」を判断する際には、どのような点を確認すればよいですか?
松野: 大きく4つの判断軸があります。順番に説明しましょう。
判断軸① 配偶者(母)の年齢と平均余命
松野: 最も基本となる判断軸です。厚生労働省が毎年公表している「簡易生命表」の平均余命データを確認します。
令和5年(2023年)の簡易生命表によると、主な年齢の女性平均余命と平均到達年齢は以下の通りです。
【女性の年齢別 平均余命・平均到達年齢】(令和5年簡易生命表)
現在の年齢 平均余命 平均到達年齢(目安) 60歳 28.91年 約89歳 65歳 24.38年 約89歳 70歳 19.96年 約90歳 75歳 15.74年 約91歳 80歳 11.81年 約92歳 85歳 8.33年 約93歳 90歳 5.53年 約96歳 (出典:厚生労働省「令和5年簡易生命表」 https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life23/index.html )
田中: これを見ると、75歳以上になると2次相続まで10〜16年という計算になりますね。
松野: そうです。**相次相続控除の適用期限は「1次相続から10年以内」**ですから、この10年という数字が重要な目安になります。
【平均余命から見た未分割申告の検討ライン】
配偶者の年齢 平均余命(女性) 2次相続の見込み 未分割申告の検討 60〜70歳 約20〜29年 10年超が一般的 不要(通常の分割申告が原則) 75〜80歳 約12〜16年 10年前後 要検討(健康状態次第) 85歳以上 約8年以内 10年以内の可能性が高い 積極的に検討 90歳以上 約5〜6年 ほぼ確実に10年以内 強く推奨
田中: 85歳・90歳の方が1次相続を迎えた場合は、未分割申告が「例外的な対応」ではなく「積極的に選ぶべき選択肢」になるんですね。
松野: その通りです。ただしあくまで平均余命は統計上の目安です。実際の判断には配偶者の健康状態・持病・生活環境なども総合的に勘案する必要があります。
判断軸② 1次相続で母が課税される相続税額の水準
松野: 相次相続控除の金額は、1次相続で母が実際に課税された相続税額をベースに計算されます。つまり、母に課税された相続税が大きいほど、2次相続での控除額も大きくなります。
田中: 逆に言うと、1次相続で配偶者の税額軽減を使って母の相続税をゼロにしてしまうと、相次相続控除の元手がなくなる?
松野: そうです。配偶者の税額軽減で母の相続税がゼロになった場合、相次相続控除は適用できません。 これが「あえて配偶者の税額軽減を使わない」という逆転発想の核心です。
【未分割申告が有効な財産規模の目安】
1次相続で母が仮に法定相続分(2分の1)を取得した場合に相続税が発生する財産規模が目安になります。
- 相続人が母・子2人(計3人)の場合、基礎控除は 4,800万円(3,000万円 + 600万円×3人)
- 財産総額が 1億円以上の案件から未分割申告の効果が顕著になる傾向があります
- 特に 3億円以上の富裕層案件では、相次相続控除の効果が数千万円規模になるケースも
田中: 財産規模が小さい案件では、あえて未分割申告を選ぶメリットが薄いわけですね。
松野: はい。財産規模・相続税額・配偶者の年齢を組み合わせてシミュレーションし、メリットが確認できた場合に選択するというのが実務上の判断フローです。
判断軸③ 相続人間の関係性・合意形成の見通し
松野: 未分割申告は「後で分割協議をする」ことが前提です。そのため、相続人間の関係性が良好で、将来的に分割協議がスムーズに進む見通しがあることが重要な前提条件になります。
【相続人関係と未分割申告の相性】
相続人の状況 未分割申告の適否 相続人全員の関係が良好・信頼関係がある 適している 相続人の一部が海外在住・連絡不通 要注意(協議が難航するリスク) すでに相続人間でもめている 不適(長期化・未分割のまま3年経過のリスク) 相続人の一人が認知症・判断能力に不安 要注意(成年後見申立てが必要になるケースも)
田中: 相続人間でトラブルがある場合は、未分割申告を選ぶと逆効果になりかねないんですね。
松野: そうです。家庭裁判所での調停や審判に発展した場合、3年以内に分割が完了しないリスクがあります。「やむを得ない事情の承認申請」で対応できるケースもありますが、事前に見通しを立てておくことが大切です。
判断軸④ 未分割期間中の財産管理上の支障
松野: 最後の判断軸が、未分割のまま放置することで生じる実務上の支障です。
【未分割期間中に生じる主な制約】
財産の種類 未分割中の支障 不動産 名義変更(相続登記)が困難。売却・担保提供も事実上不可 預貯金 一部払戻しは可能だが、口座の名義変更は遺産分割確定後 非上場株式 議決権行使・配当受領に支障が出るケースがある 賃貸不動産 家賃収入の帰属が不明確になる可能性がある 事業用財産 事業承継の手続きが遅延するリスクがある
田中: 不動産や事業を承継する予定がある場合は、未分割のまま長期間放置するとデメリットが大きいんですね。
松野: そうです。たとえ相次相続控除の効果が期待できる案件でも、不動産の早期売却が必要な事情があったり、事業承継の手続きを急ぐ必要がある場合は、未分割申告ではなく通常の分割申告を選ぶ方が合理的なケースもあります。
4つの判断軸のまとめ
田中: 4つの判断軸を整理すると、「配偶者の年齢・相続税額・相続人関係・財産管理」の4点を総合的に見極めて判断するということですね。
松野: そうです。判断フローを図示するとこうなります。
【未分割申告の判断フロー】
Step 1 配偶者の年齢は75歳以上か? → No:通常の分割申告を原則とする → Yes:Step 2へ
Step 2 健康状態等から10年以内の2次相続が見込まれるか? → No:通常の分割申告を原則とする → Yes:Step 3へ
Step 3 相続税額の試算で相次相続控除の効果が確認できるか? → No:通常の分割申告(配偶者の税額軽減を最大活用) → Yes:Step 4へ
Step 4 相続人間の合意形成・財産管理に支障はないか? → 支障あり:リスクを勘案して総合判断 → 支障なし:未分割申告を積極的に選択
※ 未分割申告を選択する場合は、申告期限内に必ず**「申告期限後3年以内の分割見込み書」**を提出すること
田中: このフローを見ると、全ての条件が揃った案件でしか未分割申告は使えない、という感じがしますね。やはり専門家に相談することが不可欠ですね。
松野: まさにその通りです。未分割申告は一歩間違えると「見込み書の提出忘れ」「3年経過による特例の失効」「相続人間のトラブル長期化」といった重大な損失につながるリスクもある、高度な実務判断です。相続が発生したら、できるだけ早く専門家に相談することをお勧めします。
まとめ:局面ごとの最適戦略
田中: 整理すると、1次・2次相続の間隔によって戦略が全く異なるということですね。
松野: そうです。まとめると次の通りです。
| 状況 | 基本戦略 | ポイント |
|---|---|---|
| 1次・2次相続の間隔が10年以上 | 1次相続で配偶者の相続分を抑える | 2次相続の累進税率の影響を軽減 |
| 10ヶ月以内に2次相続が発生 | 1次相続で配偶者に多く相続させる | 相次相続控除を最大活用 |
| 1次相続で2次相続が近い予感 | 1次相続を未分割で申告 | 2次相続後に一括分割・相次相続控除を適用 |
田中: 「配偶者の税額軽減を最大限使う」「相次相続控除を最大限使う」「未分割で申告して待つ」、局面によってベストな選択が全く違うんですね。こうした判断は、やはり早めにご相談いただくことが大切ですね。
松野: その通りです。特に富裕層の方は財産規模が大きいため、遺産分割の方法次第で相続税が数千万円単位で変わることも珍しくありません。1次相続が発生してから慌てて考えるのではなく、元気なうちから家族全体の相続シミュレーションをしておくことが、最善の相続対策につながります。

当事務所のご紹介
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